INTERVIEW

ウェイ・ダーション(魏徳聖)インタビュー プロデューサー/脚本


Q:「KANO」の物語は「セデック・バレ」のリサーチ中に資料を見つけたということですが、すぐこれは映画にしようと思われたのですか?脚本はいつ頃書かれたのですか?
A:テレビ局の資料室で見つけて、これは!と思いました。その時は「セデック・バレ」の準備で忙しかったので、友人と一緒に脚本を書くことにしました。2006年でしたね、当時嘉義農林のOB会から生前の蘇正生(そ・しょうせい※)を紹介してもらい、実際に会って話を聞くことができたのは貴重でした。そしてまず友人に書いてもらって、書き終わったところで色々話し合いをして修正を加えていきました。 ご存じのように「セデック・バレ」はなかなか投資者が見つからなくて制作に入れなかったので、先に「海角七号」を作り、「KANO」の脚本は2010年に完成しました。
※1931年甲子園代表の嘉義農林メンバー

Q:八田與一と嘉南大圳や呉波(ご・は※)を絡ませるアイデアは、ドラマが膨らんでとても良い効果を出していますが、最初から考えていたのですか?それとも脚本を書き進むうちにひらめいたのですか?
A:八田與一と嘉南大圳のことは台湾ではよく知られている史実で、前々から映画にしたいと思っていました。ただ、それだけで一本の映画にするには難しかったので、『KANO』の中に融合しようと思った。 呉波(ご・は)も嘉義農林出身でとても有名な選手だし、資料で小里初雄(甲子園出場メンバーの日本人選手)の家の隣に住んでいたというのを資料で知ったので、からませました。
※1995年、野球殿堂入りした呉昌征(ご・しょうせい)。

Q:リサーチや構想の際に、現地へ行き色々な方に話を聞かれたと思いますが、どんな話が印象的でしたか?
A:何と言っても蘇正生(そ・しょうせい)です。彼は2008年に亡くなりましたが、その二年前でも90才半ばだというのに、背は高くて身体もがっしりしていました。高齢の為耳が遠く質問が聞き取れなかったこともあり、聞いたこととは違う答えが返ってくることもしばしばありました。でも、それが意外なことばかりで、本当に興味深い話でした。素晴らしい記憶力で、彼が語ったことは全て映画に出て来ますよ。話の中で特に感動したのは、指をケガしたピッチャーの呉明捷(ご・めいしょう)をサポートする為に打たせて捕る戦略の時、どんな球でも「いらっしゃいませ〜」と選手達が言ってボールに食らいついていくというところ。彼は色々なインタビューを受けたが、この事を話してくれたのは僕にだけでした。

Q:選手役は野球経験が条件で、最終的に13人が選ばれましたが、13人に絞る段階ですでに配役も考えていましたか?実際の選手たちととてもイメージが近いですね。
A:マー監督と相談しながら決めましたが、台湾ではこの映画の中で呉明捷(ご・めいしょう)と蘇正生(そ・しょうせい)がポイントなので、この二人の配役はイメージに近いということを重視しました。

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